柄沢ヤスリのWhat's New?
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柄沢ヤスリのWhat's New?

2018/6/7 Newsが見つからない!

What's New?のコーナーなのに、Newsが見つかりません!  かといって決して平穏というわけでもないのです。小さなトラブルや悩みは相変わらず尽きません。今日も朝会で一席ぶってしまいました!!  でもやっぱりNewsは見つけられませんでした。              さてどうしようか・・・と無い知恵を絞り、苦肉の策ではありますが1つ妙案が浮かびました。「ヤスリが出来るまで」の工程をこれからしばらくシリーズで書いてみることにしようと思います。ヤスリに関しては全くの門外漢の私がこの世界に入って8年。考えてみたらヤスリが出来るまでの全工程を自分でもしっかりと把握できているのか?と聞かれたら、いささか自信がありません。私自身のこの8年間の「自己評価」のつもりで書きたいと思います。ヤスリの専門家に叱られないように、巷でよく聞く「炎上」とやらにならないように少し真面目にシリーズとしてまとめてみます。ただし、正当な工法と違っていたとしても、あくまでも「柄沢ヤスリ」のやり方ですのでご理解下さい。

では、まずヤスリ製造の全工程を記しておきましょう。

 【ヤスリ製造の工程】                                                                                    ①材料切断→②火造り(鍛造成型)→③焼きなまし→④歪み取り→⑤削り→      ⑥双手ヤスリ掛け→⑦目立て→⑧味噌付け→⑨焼き入れ→⑩表面仕上げ  

日本の伝統的なヤスリの製法には独特な特徴があります。工場見学に来られた方に説明すると皆さん一様に驚かれます。次回から1つずつ詳しくお話しすることにいたしましょう。どうぞご期待下さい!!(その前に私も猛勉強しておかなければ・・・)               

2018/6/1  懐かしい人との再会

今回は柄沢ヤスリの話題から少し離れます。お聞き頂けますか?

柄沢ヤスリに入社するまで、私は新潟県の高校の教員を勤めていました。先日、今から38年前私が初めて教壇に立ったときの山の高校の教え子が訊ねてくれました。その一月ほど前「覚えていますか?」と電話をくれたとき、彼のクラス担任をしたわけでもなくただ教科を教えただけの当時1年生の男の子でしたが、不思議と彼の顔がすぐに浮かびました。サラサラ髪の眼鏡を掛けたちょっとニヒルな美少年でしたから。その彼が仕事の都合で隣県に越すことになったのでと会いに来てくれたのです。人生の中のほんの一瞬すれ違っただけなのに、38年も経って再会できるなんて信じられない思いでした。もっとも今はSNSやらFacebookやらで知らぬ内に情報が拡散していますから、「高校の時のあの変な先生がこんなことしてるよ」なんて噂は誰でも知ることが出来るのでしょうね。スマホも持たない私には想像もつかない世界です。地元のお蕎麦を携えて来てくれた彼は昔の面影そのまま。卒業後の30数年間の出来事や、授業で私がこんなことを言ったなんて思い出すだけでも気恥ずかしい話や、同級生の消息や、話は尽きませんでした。                 山の高校に新採用で赴任したことは、私の人生観を大きく変えました。町場の工場地帯で育った私には、新任地は環境から生活習慣から全てが驚きの連続でした。        着任した年の冬、雪が5m積もりました。外に続く道路は全て遮断され、新聞も来なければ生鮮食料も届かなくなりました。来る日も来る日も雪は止むことを知らずまるで空に穴があいたのでは、と容赦なく雪を落とし続ける天を恨みました。10日間臨時休校だった学校を再開したとき、寮や下宿や親戚の家に緊急に寄宿することになった生徒達は雪道を半日以上も歩いてやってくるのです。朝から歩いてやっと近くまでたどり着いたと、夜8時を過ぎて寄ってくれた女生徒を同僚と2人で下宿先まで送ることにしました。街灯が頭の上ではなく足元を照らす(ほど雪が積もった)雪原の中の1本道を3人といつの間にか後ろを付いてきた1匹の犬が1列になって歩く姿はまさに「北越雪譜」の世界でした。今回訊ねてくれた彼は隣町から通っていましたので、まだ開通前だった長く暗いトンネルを1里以上も歩いて通学したとか。共通1次試験を受験する3年生は担任引率でキャタピラー付きの「雪上車」で受験場に向かいました。                                      冬が来る前ベテランの先生が生徒に掛ける言葉は「父ちゃん、出稼ぎに行ったかい?」そんなプライベートなことを皆の前で言っても良いのかと新人の私は戸惑ったものでしたが、担任をしたときクラスの女の子が大きな声で「明日父ちゃんが出稼ぎに行くから、クラスで1番になった成績表を見せたい。先生早く成績表作って!」明日出かける父ちゃんを喜ばせたい彼女の気持ちに胸打たれました。熱い想いを持っていた新人時代でしたから、生徒との(闘いも含めた)触れ合いや人情の機微や山の四季の移ろいや自然との協調の仕方や・・・その全てが、粗野で鈍感だった私の感受性を少しは真っ当に育んでくれた気がします。    今回来てくれた彼からは連絡先さえ聞きませんでした。いつかまたこんな風に再会できるでしょうか?新しい地でどうか幸せにと願うばかりです。

さて、懐かしい人との再会でしばし感傷に浸ったことでようやく気づきました。今の私は仕事に社会に対人関係に「頭カッカ!!」と日々怒ってばかりであったことに。病院でけんかをして「私にも病院を選ぶ権利はある」と踵を返したときは医師を慌てさせました。「何でこうなるのか」と毎日机を叩いては不満の嵐でした。このコーナーを復活して、少し落ち着いて会社の日常や自分を振り返る機会を得て今反省しきりです。こうやって出来事を書くだけでも意味があったことを再認識しています。

以上、柄沢ヤスリとは全く関係のない話に長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました。                  

2018/5/28  グランプリ受賞慰労会~~蓬平温泉にて

いささか旧聞に属することで恐縮ですが、4月の慰労会のお話しをさせてください。   2月、燕市のデザインコンペで「初爪 HATSUME」がグランプリを受賞しました。      4年前、初めて我が社のヤスリにデザイン性を取り入れて作った爪ヤスリ・踵ヤスリ「シャイニーシリーズ」がにいがた産業創造機構のデザインコンペで大賞を受賞しました。リーマンショックの影響がまだ残っており経営的にも楽な時期ではありませんでしたが、あまりに嬉しくて受賞までにお世話になった全ての方をご招待し岩室温泉で大祝賀会を開きました。こんなに嬉しいことはもう二度とないだろうと思ったので賞金はすべて一晩で”ぱぁーっと”使い切りました!!来て頂いたお客様に「また来年もやってくれ」と所望されましたが、「次に大賞を取ったらね」と答えたきりずっと約束が果たせずにいたことを心苦しく思っていました。                                 そして今年、満を持して応募した「初爪」がついにグランプリを取ったのです。長いようであっという間の4年でした。(う?どこかで聞いたことがあるようなセリフ・・・)

4月13日 長岡の奥座敷「蓬平温泉」にて、総勢15名での慰労会を開催しました。 前回は「祝賀会」今回は「慰労会」。色々訳があります。前回の誉を知らない社員が増えたので、私の舞い上がらんばかりの喜びが残念ながら伝わらなかったようです。祝賀会をしますと伝えたところ、「遠いから嫌だ」「人がいると眠れない」「接待させられるのが嫌だ」「その日は都合がある」・・・・・・・頭に来た私は「ええい、祝賀会なんかやめちまえ!!代わりにお世話になった方々をが慰労する。文句あっかーーーー!!!!」 と言うことで、社を上げての「祝賀会」のはずが、岡部さん・Eさん・私の”3人官女”と前回も参加してくれたMちゃんとのたったの4人だけで、初爪に関わってくださった皆様を「慰労」する会になってしまったという顛末でした。                                     お客様は、この3年苦労を分かち合った同士達。受賞の栄誉を皆さん自分のことのよう喜んでくださいました。美味しい料理に舌鼓を打ち、美酒に酔い、喜びを分かち合い、苦労話にうなずき合い、極上の時間を持つことが出来ました。              その中で心に残ったエピソードを一つご披露いたしましょう。2次会でカラオケ会場に行ったときのことです。すでに先客の”お姉さま方”のグループがかなり盛り上がっていました。歌う歌う、踊る踊る、そのパワーに圧倒されそうで我がグループはかなり遠慮気味でした。そのうち、お姉さま方に誘われて我らがメンバーも踊り始めました。踊りの初心者には手を繋いで「イチ・ニィ・サン・シィ」と手ほどきです。誰かがカラオケでつっかえると、お姉さま方全員で唱和して助け船。この活力と洗練された踊りはどこから来るのか、と聞けば実はダンスの世界大会にも出場するグループの皆様とのこと。道理で並みの素人とは鍛え方が違うわけです。慰労会接待役の我々女性4名は引っ込み思案な越後人。ずっと壁の花でしたが、最後に全員で輪になって「学生時代」を大合唱をしたときにはしっかり輪の中で踊っていました。70歳のリーダー率いるお姉さま方(年齢層も幅広いようにお見受けしました)は「この歌で締めるのが私達の恒例なの」と引き際も爽やかに去って行かれました。ストーム(嵐)でもなくブリーズ(そよ風)でもなく、良い意味でつむじ風か空っ風とでも言えましょうか。皆の心に何とも爽やかでパワフルな風を吹き込んでくださいました。朝ご飯の会場でも颯爽と挨拶を交わされ、どこまでも気持ちの良いお姉さま方との出会いでした。                                 岡部さんを始め、やはり一流を極めた方々は何かが違う。学びは身近なところにも沢山あることを知った蓬平温泉でした。              

2018/5/24  技術を伝えるということ

このコーナーを再開するまで2年余り、ご報告したいことは山ほどありました。国の補助金で大きな機械が入ったこと、そのために工場を大々的にリフォームしたこと、新商品の開発が始まったこと、その新商品がデザインコンペでグランプリを受賞したこと・・・でも書けなかったその訳は・・・ホームページの管理システムが変わって「使い方が分からなかった!」ただそれだけのことでした。本当にお恥ずかしい限りです。入社して8年、この2年が最も多忙であったことも手伝って、マニュアルもない管理システムを自力で試行錯誤する時間さえも惜しかったのです。まだスマホも持っていない私は、完全に時代から取り残されそうです。

さて、そんな2年で一番大きな変化は社員の若返りと言えましょう。5人の社員を新たに迎え、そのうち4人が20代・30代でした。この人手不足の時代に有り難いことです。8年前入社した時の私はちょうど真ん中くらいの年齢でしたが、今や上から3番目です。年齢的な世代交代は順調と言って良いかもしれません。しかし・・・肝心の「技術の伝承」がままならぬのです。ベテランの岡部さんは別格として、他の中堅職人が仕事を始めた15・6年前はひと世代前の職人達の世代交代が終わった頃、ちょうどヤスリ職人の端境期(はざかいき)でした。ですから今の中堅達は先輩に時間を掛けてじっくりと基本を習う猶予はありませんでした。中堅職人達は自分達の才覚で創意工夫し、努力し技術と腕を磨いてきました。でも、全工程を通してトータルでヤスリを見ることを教わっていないのです。例えば10近くの工程を経てやっと仕上がったヤスリが商品に出来るような代物ではなかった。どの工程に問題があるか誰も分からない。再度一から作り直して、また同じ失敗を繰り返し・・・。「ヤスリは奥が深い」とため息をつくことが近頃は多くなりました。最大の原因は15・6年前に一度技術の伝承が途切れたそのことに他ならないでしょう。先人達が健勝なうちにヤスリ業界の将来を見据えておけば今頃は、と悔やまれますが今さら嘆いてみても詮無いこと。まさに「後悔先に立たず」のお手本のようです。そのまま手をこまねいているわけにもいきませんから、公の補助金を有効利用して機械化できるところは機械化し、外部のベテラン職人を講師に招聘してヤスリのイロハを伝授して貰い、焼き入れの技術取得のため広島まで新人職人を長期派遣し、県の技術センターにはヤスリ製造の科学的裏付けの研究を依頼し・・・途切れた技術の空白を埋めるべく今出来ることを必死にやっています。               それにしても昔の職人はすごかったですね。学校で習ったわけでもなく、なぜこうなるのかと言う根拠を科学的に捉えていたわけでもなく、今見れば見事な製品を当たり前に作っていた。それが江戸時代から燕に脈々と伝えられてきたヤスリの技・伝統と言うものなのでしょうね。若い職人達の仕事ぶりを見るにつけ、今ここで伝統の技術を途絶えさせてはならぬとつくづく思うこのごろです。                       

2018/5/21  "初爪 HATSUME”ようやく完成です!!

ようやく新爪ヤスリ ”初爪 HATSUME” を皆様のお手元にお届けできます。

開発のきっかけは大学病院のリハビリの専門医からの提案でした。彼は私が高校教員時代の教え子。学会で新潟に来たからと訊ねてくれました。担当する片マヒの患者さんが爪の手入れをするのに苦労しているとのこと。カーブの付いた爪ヤスリ「シャイニー」を元に新しい爪ヤスリが作れないかとの提案でした。今からちょうど3年前のことです。彼自身も事故で怪我を負った経験があるため、患者さんに寄り添う気持ちがひしひしと伝わってきました。ただ単にカーブが付いているから便利と謳ってきた「シャイニー」でしたが、現場の実状を聞かされまさに「目からウロコ」でした。片マヒの患者さんは健常側の手の爪が自分では削れないのです。不覚にもそのことに全く気づきませんでした。早速開発に乗り出すことを約束しました。

新商品の開発は弊社の力だけではとても手に負えません。燕市の新商品開発補助金事業に応募し、プロダクトデザイナーさんの紹介を受け、協力会社を探し、東京まで出向いて発案者とデザイナーと3人で企画会議を何度も持ち・・・着々と準備は進みました。提案があってから2年半が経った昨年10月、とうとう新爪ヤスリのサンプルが完成しました。新爪ヤスリの命名にも思いを込めました。新潟の方言の「器用な・器用な人」を意味する「はつめ」にかけて「初爪」と名付けました。1月7日にその年初めての爪切りをすると「健康になる」「幸せになる」という古くからの言い伝えも名前の由来になっています。      しかし”無”から”有”を生み出すことは、予想もしない困難が付きまとうものです。台座の金型に不備が生じ、サンプル完成から商品になるまでなんと7ヶ月も掛かってしまったのです。「初爪」の由来からどうしても新春に発売をしたかったので、とりあえずサンプル型で初売り分だけ間に合わせました。利益など度外視です。お陰様で大好評だったのですが、その後がいけません。新聞やテレビでも取り上げて頂き、お客様からのお問い合わせや予約が殺到しましたが金型の目途が立たず、矢のような催促に頭を抱える日々が続きました。今振り返っても7ヶ月間何が現場で起きていたのかさっぱり分かりません。ただ、時間と労力を費やした分、製品への妥協をしなかった分、手前味噌ですが会心のヤスリになりました。  絹の様に細かな目を持ち、どの方向にも爪を削れることが自慢です。ヤスリの絶妙なカーブは医療現場の意見で決まりました。手のひらにも収まるシリコンのデザインもかわいらしいと評判です。これから、どんな方達が使ってくださるのか、どんな評価を頂けるのか、作り手としてとても楽しみにしています。本当にお待たせして申し訳ございませんでした。

どうか皆様「初爪 HATSUME」を宜しくお願いいたします!!


2018/5/10  ”看板娘”95歳を迎える

我が社の”看板娘”岡部キンさんが5月4日めでたく95歳を迎えました。いつも言うことですが、どこから見てもその歳を感じさせない若々しさです。彼女が皆様に注目頂くようになって5年、95歳の今も仕事への姿勢や生活ぶりは全く変わりません。誰よりも集中して仕事をし、家に戻ってゆっくり疲れを取り、一休みした後「さて今晩の献立は?」と家事に励み、時にはご家族との口げんかを楽しみながら、彼女の充実した1日は過ぎるのです。 どうやったらこんな風に健やかに歳を重ねることができるのか?いつも羨ましく彼女を見ています。岡部さんはまず強い意志の持ち主、信念の人です。また、好奇心の塊、政治や社会の出来事はもちろん森羅万象何にでも関心を持っています。お料理自慢も元気の秘訣でしょうか。彼女が社員に振る舞ってくれる季節ごとの漬け物は絶品。外で美味しい物に出会うとすぐにそれを家でアレンジしてみると聞きます。彼女のこの好奇心と想像力と応用力が若さと元気へと繋がっていることは間違いないでしょう。                                                 先日工場見学に来られた若い女性に、岡部さんが突然「あなたも目立てをしてみますか?」と誘ってくれました。戸惑う女性を皆でやや強引に目立て機械の前に座らせ、岡部さんの指南が始まりました。女性はちょっと触ってみるだけのつもりだったようですが、岡部さんの指導は妥協を許しません。「ダメダメ!右足をしっかり踏んで。左手で押さえて!!」「はいもう1本やってみて!!!」見学だけの予定だった女性はしっかり自分用のヤスリを仕上げてお土産として持ち帰りました。たった10分ほどでしたが岡部さんの厳しくも的確な指導に皆舌を巻きました。                                    こんな風に岡部さんが元気で頑張ってくれることが会社の活力にもなっています。    岡部さん、これからも末長ーーーーーく宜しくお願いいたします!!

2016/1/5 明けましておめでとうございます

昨年は多くの皆様にお世話になりました。本当にありがとうございました。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

このコーナーへの登場は何と9ヶ月ぶりです。昨年の4月に「必ずこの場で報告します」と固く誓ったお約束、やはり破ってしまいました。全く持って面目ありません。6年前までの教員時代は常に時間に追い立てられ気持ちの余裕が持てませんでしたが、今は気持ちはずっと楽になったのに「物理的に全く時間が足りない」状態が続いています。今年は時間をもっと上手に使って何事もテキパキこなせる人間になることを年頭の目標に掲げたいと思います。

さて、皆様にご報告しなかった昨年の主な出来事をまとめて書いてみます。何しろ9ヶ月分です。少し長くなりますがおつき合いください。

4月

読売テレビ「遠くへ行きたい」の撮影で俳優の前田吟さんが訪ねてくださいました。テレビで見る前田さんと全く同じで自然体でとてもすてきな方でした。「ギン(前田さん)がキンさん(岡部さん)に会いに来ました」と彼のジョークから出会いは始まりましたがカメラの前で緊張していた私はすぐに気の利いた言葉を返すことができず、その場面はまぁボツだったでしょうね。記念に社員一同と写真を撮っていただきましたが、さすがは俳優さん。社員全員が緊張のあまりこわばってさらにピンぼけな顔で映っている中で、一人光を放っていらっしゃいました。プロと素人の差がここまではっきりと出た『出来事』を私は他に知りません。とてもスムーズに取材が行われたので特に語るべきエピソードもありませんでした・・いえいえ、ありました一つおもしろいことが。前田さんが事務所に入ってくる最初のシーンを撮り始めたところで、なんと我らがEさんが大きな声で電話を始めました。(もともと燕人は皆声がデカいのです)撮影が終わって前田さんが済まなそうに一言。「この撮影は"やらせ"は決してしないのですが、今の大きな声入ってます?まずいですよね・・・?では撮り直しますか」さすがはEさん、やってくれました。

6月

島根大学医学部の先生が学会の途中で訪ねてくれました。私のかつての教え子です。大学病院のリハビリテーション科の専門医を努める彼から大きな課題をもらいました。
ハンデキャップを持った方が使える爪ヤスリの開発です。半年間静かに構想を温めてきましたが、この場を借りて宣言いたします。「新しい爪ヤスリ必ず完成させます!!」

7月

工場の2階をリフォームいたしました。社員が増えて作業場所が足りなくなったためです。
昭和42年に今の場所に工場を移転して以来、新年会の会場になったり社員の休憩場所になったりした18畳の(最後は只の物置と化していた)和室が、フローリングの作業場に生まれ変わりました。38年分の思い出の品々(私以外の社員は皆それを"ゴミ"と呼びます)を思い切って4tトラック2台分処分しました。「仕事の効率向上は環境にあり!!」を証明してくれた、我が社にとってはまさに平成の大改革でした

8月

お盆明けの6日間、三越日本橋本店に出展いたしました。急に決まった出展でしたのでお客様への告知も充分に間に合わず、売り場の担当の方は恐縮しておられましたが、
「エクセレントシリーズ」初披露の場を与えていただき私達はかえって大感激でした。
さすがに老舗のデパート、造りも空気もゆったりと重厚でした。

9月

日経新聞新潟版「企業 次の一手」に我が社が掲載されました。
長岡に講演に来ていらしていたジャパネットタカダのあの高田明会長が、記事を読んで来場者の皆さんに「これぞ中小企業のあり方!」と紹介してくださったそうです。      

10月

昨年もっとも忙しい月でした。
・10月2日(金) 新潟信用保証協会様のご推薦を頂き、
 「江戸・TOKYO 技とテクノの融合展2015」 (於 東京国際フォーラム)
に出展いたしました。アテンドは岡部さん・Eさん・目立て職人Iさんとの4人です。
新商品のヤスリ「誉シリーズ」を中心に展示いたしましたが、ヤスリのブースが他にな   かったせいか大盛況でした。お客様の反応を初めて目の当たりにしたIさん、 目立て職人としての自信を深めたようでした。

・10月3日(土)「燕三条工場の祭典」
たった1日の参加でしたが、約70名のお客様に工場を見ていただきました。前日の東京での反響をうけて、急遽ヤスリのお試しコーナーを設けました。もくろみ通りこちらも大好評。説明する社員達の目の輝きも違いました。お客様の中に毎日新聞論説委員の中村様がいらして、後日コラム「水説」にとても温かな筆致で岡部さんのことを書いてくださいました。

・10月3日(土) 燕市企画番組 NST「燕の匠 受け継がれる職人の技術」出演
燕の3つの伝統産業を紹介していました。いずれも後継者不足は深刻です。問題点や課題をまとめ、よく編集されたいい番組でした。
しかし我が社の社員達、工場の祭典と重なったせいか、岡部さん以外「誰も見ていない!録画していない!!」当事者の社員にこそぜひ見て欲しい内容でした。

・10月25日(木)・26日(金) 「燕三条ものつくりメッセ」出展
今年で2回目の開催となる見本市です。県内外から200社以上の企業が出展し見所満載の見本市でした。我が社は2日間13名の社員全員が交代でアテンドしました。テレビのニュースに存在感抜群のEさん映ってましたよ!!

11月・12月

工場見学のお客様を大勢お迎えしました。考えてみれば地味な「ヤスリ」を製作する現場などよほどの事がなければ見る機会などないのかも知れませんね。皆様小さな工場の古い機械や職人達の仕事ぶりをを熱心に見てくださり私達 の方がかえってうれしくなりました。

以上が柄沢ヤスリの4月からの9ヶ月でした。充実の1年ではありましたが、この努力がそのまま売り上げに繋がればこれ以上嬉しいことはありません。                「燕三条ものつくりメッセ」の会場で「小さいけれどキラッと光る会社」と言うフレーズを遠くで何度か耳にしました。今年の柄沢ヤスリはそんな会社を目指したいと思います。  目指せ下町ロケット!! (R記)

2015/4/19 桜の季節も過ぎました

年頭のご挨拶をして以来のご無沙汰です。雪の降りしきる頃に、梅のほころぶ頃に、桜が満開の頃に、書こう書こうと思いつつとうとう桜の季節さえ過ぎてしまいました。
今年の冬は私事ながら母が大腿骨を折って長岡の病院に入院し、仕事の後毎日片道1時間の道のりを通い続けました。幸い3月末に退院してきましたが、仕事を充実させるためにはまず私生活の安定がもっとも重要であることを実感した2ヶ月でもありました。会社にはできるだけ迷惑を掛けないよう努めたつもりではありますが、心に屈託を抱えていてはきっと仕事は穴だらけだった事でしょう。周囲のフォローに感謝です。
そのためこの“what's new"もしばらくお休みさせていただきました。ご容赦ください。
さて、今年の燕の冬は穏やかでした。昨年12月のNHKの生放送の日は、皮肉なことに例年になく早い大雪に見舞われ、雪除けに大わらわでした。厳冬を覚悟しましたが、その後雪らしい雪は降らず冬の苦労が少ない年になりました。その分ドカ雪となった山沿いの皆様には遅ればせながらお見舞い申し上げます。
苦労の少なかった冬と連動してか、この3ヶ月の柄沢ヤスリも特に大きな出来事もなく穏やかに過ぎました。その中でいくつかの出来事をご紹介いたしましょう。
まず2月16日から全国の郵便局に一斉に置かれた「JPセレクト(三越)」のカタログに爪ヤスリと踵ヤスリが掲載されました。もちろん紙面の中心は岡部さんです。未だに「本当にあの方の作ったヤスリですか?」「他の人の作ったヤスリではダメです!!岡部さんの作ったヤスリを送って欲しいのですが」と問い合わせが来ます。岡部さんはますます元気に爪ヤスリの目立てに励んでいます。皆さんご安心ください。
3月には昨年大賞を受賞した「IDSデザインコンペ」に新商品の「誉シリーズ」を出品しました。10年近く構想を温め、満を持して発表した商品でしたが、残念ながら受賞はできませんでした。デザイン性よりは機能を誇る商品ですので、発表の場を間違えたのかも知れません。「また賞を取ったらネ」と大宴会を約束していた皆様、面目ない・・・・。
4月4日(土)、新宿と新潟の伊勢丹での実演販売に行って来ました。新宿は私メが、新潟はEさんと岡部さんが担当、と二手に分かれての行動です。まだまだではありますが、少しずつ商品の良さを認めていただけるようになってきているのかなと実感できた1日でした。
そして、4月21日(火)読売テレビの「遠くへ行きたい」と言う番組の撮影で、何と前田吟さんが来社されます。もちろん今回も主役は岡部さんですが、いつもなら岡部さんに負担がないように・・・とまず彼女の意向を聞く私がこの度は即答いたしました。やはり私はミーハーでした。岡部さん「泉ピン子さんに頭を押さえられていた旦那さんの前田さんでしょ?もっとシャンとすればいいのに」。いえいえそれはマッサンの中の役柄の前田さんですよ、岡部さん。なんだかまたおもしろいことが起きそうな気がいたしますが、撮影後記を必ず書くことをここにお約束いたします。
4月になっても晴れ渡る日が少なく、灰色の空の元では桜を愛でる気分も半減の新潟の春でしたが、それでも確実に季節は移ろっています。新年度も気持ちを新たにがんばります!!(R記)

2015/1/15 明けましておめでとうございます

皆様明けましておめでとうございます。昨年はご愛顧ありがとうございました。この1年は3月のIDS大賞に始まり、12月17日の「NHK昼ブラ」出演まで、職人集団の私達にとっては「めくるめく1年」でした。そして何よりそのおかげで、かつて燕の主幹産業の1つであったヤスリ、越後燕のヤスリの存在を日本全国の方々に知っていただけたことが最上の喜びでした。
さて、恒例のこの1ヶ月の出来事をお聞きください。
12月17日 先にも書いた「NHK昼ブラ」に生出演です。たった22分の放送でしたが、前日から総勢30名以上のスタッフが準備にスタンバイです。生放送は機材の規模も関わるスタッフの数も録画とは全く違うことを初めて知りました。運の悪いことに前日から大寒波がやってきて、放送車やスタッフの車を駐車する場所の確保ため社員総出で雪堀りまでしました。当日は寒風吹きすさぶ天候の中、扉は開け放され、ヒーターも消えてしまい、ブレーカーも落ち・・・ひたすら寒かったことがなぜか一番思い出されます。皆様、これから生放送をご覧になったとき、どうか画面の後ろ側にいる方達にほんの少しだけ思いを馳せてくださいませ。テレビの見方がちょっとだけ違ってくるかも知れません。
そして番組の見所はやはり岡部さんでした。友人が「彼女の存在は圧倒的だった」とメールをくれました。
その他の部分は、「3人官女」で何回も練習したはずなのに全く成果なし!!なんだかバラエティ系になってしまったのは、さあ誰のせいでしょう・・・。佐藤俊吉アナウンサーとはしのえみさんのフォローはさすがでした。寒かったけれど、すてきなお二人とご一緒できてホカホカした気持ちになりました。関わってくださったすべての皆様、テレビをご覧くださった皆様、どうもお疲れさまでした!!
次は、12月26日から31日まで「銀座三越」に出店したお話です。始めて過ごした年の瀬の東京。景気も上向いているのでしょうか。デパートは年末のせいもあり活気がありました。28日は何と岡部さんもアテンドしたのです。私達は企業としての出店でしたので緊張の中にも少し気楽な部分があったことは否めません。しかし、華やかなデパートのバックヤードは「厳しい!!」の一言でした。私達は6日間だけのお手伝いのつもりでしたが、お客様から見たら私達だってデパートの一員です。何の心得も持たずアテンドしたことを大いに反省しました。ただ張り切っただけで、時間や体力の配分や加減の仕方を知らず、とうとうお正月はダウンしてしまいました。
そんな中で岡部さんの接客は見事でした。お客様の手を取って、にこやかに穏やかに的確に爪ヤスリの使い方を説明します。おまけに昼食時間以外、ほとんど休みも取らず。やはりただ者ではありません、我らが岡部さん!!「お疲れ様」とアテンド3人組で入ったレストラン、ワインを傾けつつ岡部さんしっかりとフレンチを平らげました。
「テレビ」と「デパート」、どちらも普段と逆の立場を経験させてもらい良い勉強になりました。
・・・でも、小さな声でちょっと本音を言えば、しばらくはいいかな、両方とも(ゴメンナサイ)・・・・・
(R記)

2014/11/30 おおたオーオプンファクトリー

11月29日(土)モノづくりで有名な大田区の「おおたオープンファクトリー」に行って来ました。我が燕三条もモノつくりの町ですが、金属加工技術では日本有数の町大田を一度は覗いてみたいとずっと憧れていました。
蒲田から多摩川線に乗り換えて2つ目の駅、武蔵新田が 見学のスタート地点です。最初に見たのが3Dプリンターと食品サンプルのほこたて対決。立体なのになぜプリンター?間近で見て理由が分かりました。まるでCTの画像のようなデーターが次から次へと立体的にプリントされていきます。なるほど!
そこでできたサツマイモとよく合羽橋で見かける樹脂の食品サンプルとの対決です。テレビや雑誌で見た樹脂の天ぷらやレタスが目の前で作られる様はまさに芸術でした。3Dプリンターもすごいけれどアナログな技もすごすぎる。最初から興奮したスタートでした。生憎の雨風でしたので頂いた地図は雨に濡れてボロボロ、公開工場の案内も少々わかりにくく(燕三条工場の祭典のシンボル「ピンクのシマシマ」最初は抵抗がありましたが案外目立っていいのかも)文句タラタラと出発しましたが、見学工場が増えるにつれもう天候などどうでも良くなってしまいました。それぞれの工場が独自の技術を誇っていることを目の当たりにしました。さらに機械がすごい。よくテレビで紹介されるというある会社では、3千万円、5千万円の機械が何十台も導入されていると聞きました。またある工場ではこんな説明を受けました。「最新のコンピューター制御の機械を使いこなす僕たちは、職人と言うよりオペレーターです。でもアナログの昔からの技術を知らなければ新しい機械も使いこなせない」。原子力や自動車やロケットや人工関節や人工心臓や野球場の巨大な照明や・・・日本の高度な技術の中の重要な部分の製造を自分が担っている、という自信と自負と責任がどの工場からもひしひしと伝わってきました。
我が社の仕事場を公開した時でさえ「おもしろすぎる」と言ってくれた若者がいましたが、大田区さらに「すごすぎる!!」今回すべての工場を回るには時間と自分の知識が足りなすぎました。もっと勉強して来年は社員も連れ是非もう一度見せてもらいに行きたいと誓った1日でした。(R記)

2014/11/28 ちょっとうれしい出来事

11月もあと2日で終わりです。昨年11月15日の新商品のお披露目会から始まった「岡部さんフィーバー」、10月のTBS「未来遺産」後の騒動もようやく収束し、静かな11月でした。
そんな中、2つほどうれしいことがありました。
1つ目は、昨日燕東小学校の3年生8名の皆さんが社会見学で工場を訪ねてくれたこと。小さなお客様にどのように工場を見せれば良いのか、私達も予習して準備です。説明を始めたら早速欠伸をする子がいて、説明がまずかったかと慌てました。後で聞いたら昨夜夜更かしをしてしまって眠かったとのこと。少し安心しました。皆さん一生懸命に質問したり学んだことを書き取ったり。最後の質問は可愛らしくも鋭いものでした。「ベテランの職人さんにお聞きします。どうしてその歳まで仕事を続けられるのですか?」岡部さん:「やはり仕事が好きだからですかね」そこで私がまたよけいな一言を・・・「岡部さんは何でも沢山食べるから、身体も丈夫で頑張れるんですよ」すると子供達「僕は野菜が嫌いです。特にピーマン」「僕んちは農家だからお父さんの作った野菜は大好き。お米も」「僕はゴーヤが嫌い」「私はゴーヤは食べられる」「僕のお父さんは40歳」「僕んちは30◯歳」・・・話がどんどん別な方に広がってしまいました。そんな可愛い子供達との交流は、日々の仕事や生活に疲れ気味の大人にとって一服の清涼剤でした。
2つ目は、1通のメールから届きました。12月1日発売の新商品「誉」のご注文を頂戴しました。お返事を出したらまた返信を頂き、元チェリストでいらして今は弦楽器店のご主人と判明。毎年1回イタリアのクレモナに弦楽器の買い付けに出かけられるそうです。イタリアを始めとして弦楽器の製作には日本製の刃物とヤスリが重宝がられ、特にクレモナでは我が社のプラスチックヤスリが有名で誰もが使ってくださっているとのこと。さらに、来日したイタリア人製作家と「柄沢ヤスリのプラスチックヤスリ」を求めて東京中を探し回ったけれど見つからず、後でわざわざイタリアに送ることになったこと・・・etcが記されていました。
クレモナは言わずと知れた弦楽器の聖地。かのアマティやストラディバリウスを産んだ町です。なんでも4km四方の市街地に250軒の楽器工房があり1000人以上製作家がいるのだそうです。(残念ながら私のチェロはドイツ製でした)
これまでも度々弦楽器に関わる方々からお問い合わせを頂いていました。その度に弦楽器好きの私は誇らしくうれしかったものです。それがとうとうクレモナですよ!あの有名な町の、名器を作る方々が、我が社のヤスリを選んで使ってくださっている。何と言うことでしょう!!「ワォ、ファンタスチック、グレート、ブラボー、万歳!!!」思いつく限りの言葉で快哉を叫びました。
プラスチックヤスリは元々先代が地場産業のプラスチックのバリを取るために開発したヤスリです。工場から手放した後は、どんな目的で、どのような方が、どんな風に使ってくださっているか、これまで知る由もありませんでした。
先代の蒔いた種が知らぬうちに芽を出していたこと、地道にヤスリを作り続けて来たことや職人達の技術が異国の地で静かに認められていたこと・・・1通のメールから教えられました。この仕事に就いて4年半、始めてうれし涙がこぼれました。
社員にも早速朝会でこの喜びを報告しました。そしてこの柄沢ヤスリの伝統の火を守り続けてくれている社員達にもただ感謝です。(R記)

2014/10/21 岡部さんフィーバー!!

10月15日(水)TBS「テレビ未来遺産~~世界が驚く日本の職人」の放映後、岡部さんの爪ヤスリが大反響を頂戴いたしました。番組をごらん頂いた皆様、ヤスリをお買いあげくださった皆様誠にありがとうございました。あまりの反響に「シャイニー爪ヤスリ」はとうとう在庫が底を突いてしまいました。お待たせしているお客様申し訳ございません。もうしばらくお待ちくださいませ。
中には「本当に岡部さんが目を立てているのですか?」と言う質問があったと聞きましたが、ご安心ください。新商品の爪ヤスリはすべて岡部さんの手に成る製品です。新着情報を覗いていただくと、youtubeに工場の様子がアップしてあります。誰よりも集中して仕事をしている岡部さんの様子が見られます。まだ信じられない方々、是非ご覧ください。そして、この小さな工場を支えている職人集団の仕事ぶりも一緒に見ていただければうれしいことです。(R記)

2014/10/14 すっかりご無沙汰いたしました

すっかりご無沙汰いたしました。お盆明け以降、いくつものイベントを抱え、このコーナーにたどり着くことすらできませんでした。季節の変わり目のせいもあってか、「中耳炎」に「原因不明のアレルギー」に・・・とストレスは真正直に我が身を襲います。でもようやく少し落ち着きましたので、この2ヶ月の柄沢ヤスリを振り返ります。
まずは、9月3日~5日、“東京インターナショナルギフトショー秋"に出展のため東京ビッグサイトに行って来ました。アテンドは相も変
わらずいつもの“三人官女" です。今回は岡部さん、2日目に一人で東京まで来ました。すごいでしょ!いろいろ不満の残った今年2月の出展(この話はまたいずれ・・・)も入れて、すでに3回目のギフトショーへの参加ですので3人とも慣れたものです。お客様への説明もスムーズ かつスマート(!!)にこなし、揃いのTシャツも好評で、沢山の収穫を得て帰って参りました。それにしても「ビッグサイト」は名前の通りなんとgiganticなのでしょうか。何度行っても迷います。疲れます。田舎者を実感します。
9月10日~17日、取材が続きました。1つ目の取材は「月刊niigata」。短い時間でしたが、記者の方はじっくりと話を聞いてくださって、的確でとても良い記事に仕上がりました。10月号にすでに掲載されています。
10日と17日はTBS「テレビ未来遺産」の取材でした。10月15日(水)放送の「世界が驚く日本の職人」に岡部さんが紹介されます。岡部さんの取材の受け方も、実に堂に入ったもの。全くの自然体で、カメラが回っているからといって彼女が仕事に向かう姿勢に特別はありません。頭が下がります。「だてに60年職人をやってるんじゃないよ!!」 と、いつもここで私が岡部さんに代わって胸を叩いて見せます。15日の放送を、皆様是非楽しみにしてください。
10月1・2日は地元燕三条地場産業振興センターで開催された見本市「ものつくりメッセ2014 inpact!燕三条!」に出展です。新商品「HOMARE~誉」のお披露目のための出展でしたので、準備からお客様への対応まで力を込めました。2日間、柄沢ヤスリの社員全員が交代で会場に出向きました。お陰様で評判は上々です。新商品第2弾!!として皆様に「HOMARE~誉」を覚えていただければ幸いです。
そして、2日間の興奮さめやらぬまま(少しの疲れを引きずりながら)、10月3日
「工場(こうば)の祭典」 に突入です。
燕三条の59の参加工場が、自社をお客様に開放いたしました。我が社は1日だけの開放でしたが、バスが2台、予約なしのお客様も入れて総勢64名の方々があの狭苦しい、決してきれいとは言えない我が工場を熱心に見てくださいました。こんな小さな町工場が燕の伝統産業の片隅を支えていることを、その気概だけでも知っていただけたとしたらこれ以上うれしいことはありません。
・・・・・と言うわけで、これが柄沢ヤスリの行事盛り沢山な2ヶ月でした。フゥ~~、書いているだけで疲れがよみがえってきます。でも、これだけ大勢の皆様といっぺんにお会いできた事は社員一同幸せでした。気のせいか近頃の柄沢ヤスリの面々、なんだか顔つきも穏やかになった様な・・・・・(R記)

2014/8/20 小さなお客様

 お盆休みの最終日、燕三条地場産業振興センターの「お盆フェア」の説明販売に行ってきました。
お盆前にあつらえた柄沢ヤスリそろいのTシャツに、靴は渋谷ヒカリエ出展時の反省を踏まえてスニーカーといういでたちで。アテンドはいつもの"三人官女"です。そこにいるだけで周囲の人々を魅了する岡部さん、その一声で周りが明るく元気になるEさん、少し気取っていたいワタクシメ。
 そして今回は強力な助っ人が登場です。知人の薬局の店主Hさん。普段から彼女の情熱には圧倒されていましたが、まじかで見る彼女のパワーにさすがのEさんさえも気おされ気味でした。彼女の「お客様に良いものを売りたい!!」という熱意と誠意がきっと伝わったと思います。私ひとりだった午前中と比べて、売り場ががぜん活気づき売り上げも倍増でした。贈り物にしたいからとひとりで6個お買い上げのお客様も、はじめは迷っていらっしゃいましたがHさんの熱意あふれる解説で決断されました。普段販売や接客に縁のない私達も、彼女のお客様への対応は大変勉強になりました。
  そんな風にワイワイガヤガヤと販売しているところ若い男性のお客様が来られました。一生懸命爪ヤスリを試していらっしゃいます。「これ、何歳くらいから使えますか?」の問いに「まあ。3歳くらいの幼稚園児なら・・・」と答えているところに「あっ、来ました」。そこにはママとおじいちゃん・おばあちゃんに囲まれた"4ヶ月の赤ちゃん"が。あまりのかわいらしさに皆であやしたり触ったり。赤ちゃんが自分の爪で顔を引っ掻いてしまうので、爪の手入れ道具を探していたとのこと。爪切りはまだ使えないし、保護用のガーゼの手袋では蒸れてしまうし、と困っていたのだそうです。さっそくその小さな壊れてしまいそうな指にそうっと爪ヤスリを当ててみました。ところが赤ちゃんは痛がるどころかくすぐったそうに笑っています。
若いパパとママは赤ちゃんのために「1本お買い上げ!!」 柄沢ヤスリ始まって以来の、一番小さなお客様でした。(R記)