柄沢ヤスリのWhat's New?
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柄沢ヤスリのWhat's New?

2018/9/22 ヤスリが出来るまで~その5「削り」

  新潟はようやく過ごしやすい気候になりました。しかし今夏は北海道の地震や西日本の台風被害・豪雨災害など日本全国で災害が続きました。新潟県でも地震を経験しましたが、あの恐怖と不安はとても言葉では言い尽くせません。皆様に心よりお見舞い申し上げます。  

2回ほど番外編が入りましたが、「ヤスリが出来るまで」シリーズを再開します。今回は「削り」についてです。                                             これまでの作業の中に「火造り」と「焼きなまし」がありましたが、どちらも鉄を高温に加熱して行う作業であるため、熱によってヤスリの表面には酸化スケール(酸化鉄の被膜)や脱炭層(酸化スケールの内側に出来る鉄から炭素が脱出した層)が生じます。これらを完全に除去しないと、最後の工程の「焼き」が入らなかったり、ヤスリの刃先の硬度が得られなかったりでヤスリが切れない原因になります。そこでグラインダーや左右両方に持ち手のついた双手(もろて)ヤスリでそれらの邪魔者を削り取る作業が必要になってきます。その工程が「削り」です。さらに「削り」はスケール等を除去するだけではなく、様々なヤスリの形態を削りながら整えていくと言う役割も担いますから、大変大事な作業です。          大きなヤスリの「削り」にはグラインダーを使うことが多いようですが、我が社の主力製品は小型のヤスリですから、昔から屈強な男性の職人が双手ヤスリを利用して作業してきました。夏など汗だくになって、上半身裸で力を込めて削っていました。しかし時代は変わっていきます。削り職人の高齢化でとうとうこの工程が滞ってしまいました。何ヶ月も製造が止まってしまうヤスリが出てきて、「どうするつもりなのか?」と社員達からも責められました。求職活動もしてみましたが、かなりの重労働できつい作業ですからこのご時世に簡単に職人が見つかる訳がありません。協力会社も探しましたが全て断られ頭を抱える日々が続きました。そこで意を決してこの部門の機械化を決めました。国の補助金が運良く採択されたので、コンピューター制御の最新の研磨機を導入しました。幸いこの機械の扱いに慣れた社員がいましたので、ヤスリ屋には似つかわしくないハイテクの機械が毎日作動してヤスリを削っています。おかげで窮地は脱しましたが、人間の手に比べ効率はかなり悪いです。採算がとれているかどうかは、ただ今検証中です。        

このシリーズも全工程の真ん中ほどまで来ましたが、全ての工程に共通している課題は「技術の伝承」です。幸い我が社には何人かの若い社員が頑張ってくれていますが、一人前の職人に育つまでどのくらいの時間が掛かるのか予想できません。彼らを育てる前に伝統が消えてしまっては本も子もありません。技術を持っている最後の職人が残っている今のうちに、職人の作業の「機械化」を本気で考える時期が来ていることを実感する毎日です。

次回はいよいよヤスリ作りの命ともいえる「目立て」についてお話しいたしましょう。お楽しみに。

2018/9/5 大地の芸術祭

今回もお約束を破って特別編です。「ヤスリが出来るまで」シリーズの続きは次回に回して、先日社員全員で行って来た「大地の芸術祭」について書くことにいたします。       

現在十日町市の道の駅「クロステン」にて我が社の商品をささやかに展示中です。新潟県産品の認知度の向上を目的としたプロジェクト『NIIGATA in 10』に参加させて頂いているのです。会場で新商品「初爪」のお試し会を実施することになったので、それならば社員全員を連れて、今十日町・津南で開催されている「大地の芸術祭」も一緒に見てこようと、お祭りごとの好きな私が企画しました。                        9月1日(土)社員の子供達も特別参加で総勢21名、生憎の雨の中を貸し切りバスで十日町に向かいました。普段は会社の行事には不満タラタラの社員達も、今回はまんざらでもない様子。仕掛け人の私も思わずニンマリです。                 まずは芸術祭の拠点となっている越後妻有現代美術館「キナーレ」で各自自由に観賞することにしました。しかし現代アートほど好みや理解の仕方がはっきりと分かれるものはありません。早い社員は15分ほどで会場から出てきました。反対に子供達には魅力満載の作品群だったようです。「キナーレ」は建物自体が芸術作品です。真四角の建物の中央は吹き抜けになっていて、そこには巨大な池とその水辺を囲むようにつくられた回廊があります。2階部分から池を見下ろすと、ちょうど光に反射して建物が水面に映し出された様に見えます。鏡の様に映って見える部分は実は水底に描かれたものだそうですが、自然の風景も利用した巨大な作品に私は感動しました。回廊には四畳半の大きさの様々な建造物・空間が30ほど仮想「村」をイメージして展示されており、作家達の創意工夫が読みとれました。「自分には絶対にない!!」豊かな発想の作品群を存分に楽しみました。                                         

一行はこのあと、廃校になった小学校が丸ごとアートになった「絵本と木の実の美術館」や、山里の中の斬新な建物「まつだい農舞台」などを巡りましたが、岡部さんとEさんと私の3人は皆と別れ、道の駅にて「初爪お試し会」のお仕事でした。東京から友人もお手伝いに駆けつけてくれましたが、残念ながらお試し会の方は閑古鳥でした。せっかく人気者の岡部さんとEさんがスタンバイしましたが、十日町ではまだ我が社の商品は浸透していなかったようです。                               猛暑だった今年の夏、冷房もない工場で仕事を続けた社員達の身体もかなりキツかったことでしょう。たまには仕事を離れたこんな息抜きの1日があっても良いのかもしれません。社員達が芸術祭の現代アートを堪能したかどうか?は別にしても楽しい1日でした。                                                  

2018/8/17 我が家のお盆

ようやくお盆休みも終わりました。我が社も本日から平常通りの営業です。       さて今回はシリーズ5回目「削り」について書く予定でしたが、休み中の暑さの疲れで気分は仕事モードに戻りません。そこで今回は番外編で我が家のお盆について少しだけ書かせてください。また柄沢ヤスリとは全く無関係な話題で恐縮です。

我が家の宗派は「真言宗」。普段は自分の家の宗教を意識することはあまりありませんが、お盆だけはそうはいきません。真言宗独特の習慣に従い、やることが山ほどあります。まずは仏壇への飾り物。小さな梨・リンゴ・柿・赤や白の茄子・瓢箪・鞘に入った豆・鬼灯(いずれも正式な名称は知りません)そして大小の菰(こも)・蓮の葉などを買い求めます。同じような風習の「法華宗」が盛んな三条の市(いち)では沢山の飾り物が揃っていますから、地元燕ではなく三条の12日の盆市に早朝5時頃から出かけます。(三条は二七、燕は三八、加茂は四九の日に市が立ちます)弥彦線の高架橋の下で開かれる市はすでに6時頃にはラッシュアワーなみの大混雑。その活気になんだがこちらも元気が出てきます。それらの飾り物は昔は糸で括って仏壇の前につるしていたことをおぼろげながら記憶していますが、誰も正しいやり方を教えてくれませんので、ご先祖様に失礼のないよう心掛けつつ今は我流で蓮の葉の上に飾りつけています。大きなお盆の上に桃を盛りつけ、隣のお盆には季節の果物や野菜・・・確かサツマイモやトマトもあったような。麦饅頭や白玉団子を「数列の公式」を思い出しながらピラミッド型に積み上げ、最後の仕上げに「霊供膳」。小さな塗り物の器におままごとの様な精進料理を供えます。本来はお盆中1日3回供えるそうですが、母達は毎朝1回だけ、小さな豆腐や油揚げやミニチュアの様な信太巻きや茶巾茄子や・・・を楽しげに作って上げていましたので、私もそれに習っています。毎日ですからメニューに苦労しますが、毎年必ず1度は我が家の晴れの日のご馳走「ゼンマイ汁」を作り私達もご相伴に預かります。そうそう、お花を忘れてはいけません。昔は1本の竹を支柱にした華やかな仏花を父が自ら生けていました。子供の目から見てもダサくて全くセンスのない父でしたが、生け花と書の腕だけは認めないわけにはいきませんでした。我が家のお墓の字は父の筆になるものです。父の華道の流派を母に尋ねたところ「デクノボウ???」。以来「池坊」はしっかりと私の記憶に刻まれました。たった一輪の野の花であっても、凛とした佇まいの父の生ける花は思わず見惚れました。私には華道の素養は全くありませんので今は花屋さんにお任せです。                                           40年以上前不慮の事故で16歳だった弟を亡くした年から、いつも心に何かが突き刺さっているようで穏やかな気持ちでお盆を過ごしたことがありませんでした。しかし自分でお盆の準備をするようになって、ようやく心静かにご先祖様を迎えることが出来る様になった気がします。歳を重ねたせいですかね。                          昔「弟さえ生きていてくれたら、私にはもっと自由な人生があったはずなのに・・・」と嘆いていたら、父と母が「家業も省みず自分の好きな仕事に就き、趣味と道楽に生き、盆も正月も構わず好きな時に旅行に出かけ、これ以上の自由があるのだろうか・・・・・?」と目を丸くしました。ごもっとも、と納得した結果今このコーナーを書いている私がおります。お盆は自身の来し方を振り返る時間にもなったようです。 

次回は真面目に「ヤスリが出来るまでシリーズ」を続けます。文字ばかりで内容が分かりにくいと、このシリーズは不評の様ですが、いずれ写真や図を載せたページを作ります。それまでは、入社8年目の私の総括としてお付き合い下さい。                                     

2018/7/30 ヤスリが出来るまで~その4 「歪み取り」

 フェーン現象の影響で猛暑となり、本日は臨時休業といたしました。後の回でも述べますが、我が社は焼き入れ作業をしていますので、800℃を越える炉から出る熱は半端ではありません。焼き場はもちろんその隣の作業場もここ数日は38℃越えは当たり前でした。工場が全館冷房に出来るような構造になっていませんので、スポットクーラーを急遽注文をしたところ、6・7軒聞いて貰っても全て在庫無し。この猛暑とさらに西日本の被災地に流通したという事情があるようです。普段は夏でも北から南に涼風が吹き抜ける工場ですが、この度の猛暑には全く効果なし。遮熱のブラインド、10時のアイスキャンディ、冷却用ベスト・・・色々手を尽くしてみましたが焼け石に水でした。昨日の40℃近い熱風に耐えきれず、社員の身の安全を考えて臨時休業を決断いたしました。95歳も働く現場です。築50年の工場ですので、最近の異常気象に対処する方法を考えねばならない時期が来ているのかもしれません。

さて、シリーズ4回目は「歪み取り」について書きましょう。こちらの方言で「くり取り」と呼ばれています。「歪み取り→くるい取り→くり取り」と転じたようです。ダイレクトに「曲がり取り」と言う人もいます。製造過程の「鍛造(火造り)」や「焼きなまし」によってヤスリ材には歪みが生じます。そのメカニズムをごく簡単にご説明いたしましょう。火造り時にハンマーなどで鉄材を打ち付けますが、その荷重で素材の内部に応力(stress・抵抗力)が生じます。それが焼きなましの加熱で解放された結果、素材に曲がりや歪みなどの変形が現れるのです。素材がゆがんだままでは、この次の工程の削りや研磨が上手くいきません。そのために木や銅のハンマーで変形を修正する必要が出てきます。それが「歪み取り・くり取り」です。この「くり取り」、目立てが終わって焼き入れをする前にももう1度行います。2度のくり取りが実はヤスリの出来映えを大きく左右するのです。特に目立て後のくり取りは、今我が社の大きな悩みの一つになっていますし、焼き入れとも深く関わってきますのでその回で詳しく述べることにいたします。                  その昔、「仕上げ場」と呼ばれる板の間で職人さんが胡座をかいて「トントントン」とリズミカルな音を立てながらくり取りをしていた光景が今でも目に浮かびます。そのころは何の作業をしているのか理解していませんでした。何度も書きますが、もっとよく見ておけば良かった・・・。                                   ヤスリ製造の工程はまだまだ続きます。どうぞ次回もお楽しみに。       

2018/7/19 ヤスリが出来るまで~その3 「焼きなまし」

シリーズも3回目になりました。今回は「焼きなまし」のお話です。         焼きなましは焼鈍(しょうどん)とも呼ばれます。これまでにお話しした「圧延」や「火造り」によってヤスリの素材は加工硬化(金属に力を加えることによって硬くなること)を起こします。さらに「圧延」「火造り」どちらの工程もヤスリの材料を高温加熱して行う作業であるため、作業後空気中に放置することで簡単な焼き入れ状態になり素材が硬化してしまいます。材料が硬いままではこの後の「目立て」作業に困難をきたしますので、それを軟化させる必要があります。この材料を軟化させる作業が「焼きなまし」です。 我が社のやり方は、電気炉の中で1回目は800℃前後で2時間加熱、そのまま1時間ほど放置して2回目も800℃前後で1時間加熱。その後ゆっくりと時間を掛けてヤスリの材料を冷却していきます(冷えていくスピードは10~20℃/h位。 これを「徐冷」と言います)。徐冷の方法は会社によって少しずつ違いがあります。一般的には加熱した炉の中でそのままゆっくり一昼夜冷却する方法(炉冷)が多く取られているようです。我が社では加熱が終了した後、別な容器に移し替え「藁(わら)を燃やした灰」を被せて一晩ゆっくりゆっくりと冷やしていきます。熱せられた鉄に布団を被せるようなイメージでしょうか。この「ゆっくり冷やす」という作業が材料の組織を変化させて鉄材を柔らかくするために非常に重要です。(専門の文献には、パーライトがオーステナイトに溶け込んで、セメンタイトが核になって・・・?????とメカニズムが書いてありますが、何度説明を受けてもちんぷんかんぷん、さっぱり分かりません。したがって、この部分の詳しい解説は端折ります)熱処理の専門家に尋ねても「灰」をかぶせる方法はあまり知られていないようですが、保温力のある「藁灰」を利用して温度を均一に保持しながら徐冷する昔ながらのやり方は、もしかしたらかなり理にかなった方法だったのかもしれません。

何年か前「藁」にまつわるこんな出来事がありました。秋晴れの気持ち良いある日の昼下がり、用があって工場に入ったら社員が誰一人いません。何事か?とあちこち探し回り工場の裏に回ってみたところ、全員が田圃に入って「落ち穂拾い」をしているではありませんか。もちろん田圃の持ち主の許可を得ての行動でしたが、聞いてみれば焼きなまし用の藁を冬が来る前に集めているとのこと。まだ入社したての頃でしたので、ヤスリの製造工程に「落ち穂拾い」があったとは仰天でした。晩秋の頃の新潟では、白鷺や飛来した白鳥が田圃で落ち穂をついばんでいる光景をよく目にしますが、柄沢ヤスリの「落ち穂拾い」は知らない人が見たら「あの人々はいったい何をしているのか?」全く理解できない場面だったことでしょう。訳を知るまでのあの不思議な一コマ・・・10人近い人間が腰をかがめて黙々と、一心に何かを拾っている・・・今でも忘れることが出来ません。

さて、この「焼きなまし」いとも順調そうに述べましたが、この作業の善し悪しによって次からの工程にかなり影響が出てくるのです。この後「削り」についての回がありますが、「なまし」の職人と「削り」の職人、これがまた仲が悪い!!と昔から相場が決まっていました。さて、どちらのせいか?それについてはまたその回でお話することにいたしましょう。今回はここまででした。  

2018/7/4 ヤスリが出来るまで~その2 「火造り」

シリーズ2回目は「火造り(鍛造成形)」について書きます。            ヤスリの「火造り」とは圧延工場で延されたヤスリ材を、さらに様々なヤスリの形に成形していく作業のことです。我が社の得意とする組ヤスリの形には一般的な平・丸・甲丸・三角・角(いずれも断面)の他に先細・鎬(シノギ)・だ円・腹丸・刀刃・両甲丸・蛤と呼ばれる種類があります。それぞれの形によって用途があるのでしょうが、私達はもっぱら製造が専門ですのでどのように利用されているのか残念ながら詳しいことは分かりません。それらの形の成形を受け持つのが「火造り職人」、いわゆる鍛冶職人です。刀鍛冶や鉄砲鍛冶に対して「野鍛冶」とも呼ばれていました。鍛造用 の炉の中でコークスを1000度近くまで加熱します。左足で鞴(ふいご)を踏みながら炉に風を送る様は、文部省唱歌「村の鍛冶屋」の文句そのままの光景だったようです。(もっとも、現在は鍛冶屋さんがいなくなったので文部省唱歌から削除されたそうですね。どうりで子供達の工場見学で歌って聞かせても、皆ぽかんとしているはずです)その炉の中で真っ赤に熱せられたヤスリの原型を、大きめの物は「スプリングハンマー」と呼ばれる機械で、小さめの物は「玄翁(げんのう)」と呼ばれる金槌で叩きながらそれぞれの形を作り出していきます。下手をすれば小さなヤスリなど熔けて消えてしまう程の温度だそうです。夏など過酷な作業だったことでしょう。                              実は我が社専属の火づくり職人は今から10年前、明日の仕事の段取りも全て済ませゆっくりくつろいだ姿のまま89歳で泉下の人となりました。まさに生涯現役を地で行ったような人でした。燕の最後の火造り職人の一人でした。私が生まれる前からの我が社の職人でしたから、新年会や社員旅行など折に触れて声を掛けて貰っていましたが(昔は工場は自宅の中にありましたから、職人さんは全員顔見知りです)残念ながら彼の火造りの仕事は一度もこの目で見たことはありませんでした。上で書いたことは、すべてベテランEさんからの貴重な証言です。私がもう少し燕のものづくりに関心を持っていれば、私だってヤスリ造りの証人になれていたはずですのに。大事な職人達の宝の様な技を、側にいるのにみすみす見逃していたとは、自分の見識の無さを恥じています。          最後の火造り職人を失ってから我が社はしばらく途方に暮れました。大小様々100種類以上あるヤスリの形が作れないのですから、「廃業も止むなし」とまで覚悟しました。 しかしさすが職人の町燕です。燕の洋食器の技術を生かして金型で手伝ってみようかと言う職人が現れました。火造りとは全く別な発想でしたから、数え切れないほどの試行錯誤を繰り返しながら(今もその途上ですが)現在はようやく7割くらいのヤスリの形が作れるようになりました。特殊な形は最新技術のレーザーを使うことさえあります。燕は町が1つのドリーム工場です。「我こそは」と腕利きの職人が今でも町を支えてくれていることは、零細の製造業者には頼もしい限りです。                                  いつかどこかでヤスリをご覧になる機会がありましたら、さてこの形はどのようにして成形されているのか?少し思いを馳せて見てください。もしどうしてもその”謎”が解けないようでしたら、どうぞ我が社に遊びにお出で下さい。燕の職人達の技をお目に掛けましょう。

さて、次回は「焼きなまし」についてお話しいたします。一難去ってまた一難。火造りが解決するとまた次の問題が・・・。尽きることのない我が社の困難にまたお付き合い下さい。

2018/6/21 ヤスリが出来るまで~その1 「材料」

いよいよお約束の新シリーズ「ヤスリが出来るまで」を開始いたします。今までのように気ままに書くわけにはいきませんので、少々緊張しています。かといって職人でも専門家でもないので、あくまでも私が身近で見聞きして身につけた知識を私なりの解釈で書きます。違っていたら遠慮なくご指摘下さい。最後まで無事辿り着けるかどうか危ういところですが、皆様どうかお見限りなきようお付き合い下さいませ。

さて、1回目はヤスリの「材料」についてお話しいたしましょう。           一般にヤスリの材料は鉄に炭素やクロムなどの元素を合成した特殊鋼が使われています。我が社の主力商品は組ヤスリですが、特に組ヤスリには炭素を主元素とする炭素鋼(ハイカーボン)の「SKS8」が最も適しています。その「SKS8」材が圧延工場で細く長く延ばされ、様々なヤスリの形に圧延されてそれぞれのヤスリ工場に届くのです。しかし、ヤスリは他の工具や刃物に比べて材料の使用量も少なく、近年はヤスリ自体の需要も減ったため「SKS8」材を作る製鋼メーカーも今や数えるほどしかありません。ヤスリに適した材料が手に入らなくなってきたのです。材料を注文してから半年待ちなんて、日常茶飯事。手に入ればまだいい方です。そのくらい材料の入手が実は深刻なのです。

材料に関して一度こんな大きな失敗を経験しました。ただし専門的な解説が出来ませんので少しダラダラと書きますが、一つの体験談としてお聞き下さい。            我が社は特殊なヤスリの製造を得意としていますので、一般のヤスリの規格に合わない特別なサイズの材料も必要となります。しかしどこを探してもそのサイズが見つかりません。そこで鋼材メーカーと相談して、出来るだけ「SKS8」と成分が近い材料で試してみることにしました。持ち手(ヤスリの用語で「コミ」と言います)がある特殊ヤスリは、何の問題もありませんでした。ところが我が社の看板商品である持ち手のない(4面使用できる)プラスチックヤスリになると、何度試しても「焼き」が入らないのです。300本~500本目立てをして、「焼き」になると全て失敗・・・どんなベテランが試しても同じことの繰り返しが1年近く続きました。とうとう日本中(いや、イタリアのクレモナやアメリカの楽器職人さんも使っていましたから世界中)の棚から「プラスチックヤスリ」の1番の売れ筋のサイズが消えました。販売店・愛用者からクレームの嵐が起きました。何度お詫びの文書を出したことでしょう。たまりかね、新潟県の工業技術総合研究所に助けを求めました。大学の先生まで巻き込んで原因究明が始まりました。そして分かった結果が「材料」でした。グラインダーで削ってみたところ、「SKS8」材と比べて明らかに火花の出方が少ないのです。すなわちヤスリ材に最も重要な炭素(C)量が不足していたことが判明しました。炭素が少ない材料は焼き入れ時の加熱から冷却までのスピードが要。持ち手のあるヤスリは扱いやすいため瞬時の冷却が可能です。しかし持ち手のない特殊型は冷却用の治具に持ち替えるまでのまごつきが時間のロスとなり、それが焼き入れ失敗の原因になっていたのです。反対に一般のハイカーボンの材料は冷却までに少しの「間」(蒸らしとも言います)が必要であるため、新人職人の時間ロスが逆に効を奏していたという訳です。「材料」がヤスリの最後の工程の焼き入れの結果をここまで如実に左右していたことに誰も考えが及びませんでした。昔の職人であったら経験や勘で解決していただろうことに1年もの月日を要しましたが、そこには明らかな「科学的根拠」がありました。こんなちっぽけな町工場の職人の世界にも「科学」が必要な時代がきています。                            因みに、欠品が続いたプラスチックヤスリは何とか適材を探し出しお客様の元へとお届け出来ましたが、4年経った今も品薄状態は変わりありません。               子供の頃から「どんなにすばらしいアイディアがあっても知識を持たなければそれを生かすことが出来ない。だから勉強せよ!」と言われ続けてきた私は、この歳になってようやくそのことが実感出来ました。

その後も、材料探しは変わらず難航しています。工場見学のお客様が来られると、それまではヤスリ造りの柱は「目立てと焼き入れ」と話してきましたが、今は「材料と目立てと焼き入れ」の3本柱を強調しています。                                    しかし、3本柱以外の他の工程にもそれぞれ大きな落とし穴が実は待っていたのです。その話はまた次に続きます。


2018/6/7 Newsが見つからない!

What's New?のコーナーなのに、Newsが見つかりません!  かといって決して平穏というわけでもないのです。小さなトラブルや悩みは相変わらず尽きません。今日も朝会で一席ぶってしまいました!!  でもやっぱりNewsは見つけられませんでした。              さてどうしようか・・・と無い知恵を絞り、苦肉の策ではありますが1つ妙案が浮かびました。「ヤスリが出来るまで」の工程をこれからしばらくシリーズで書いてみることにしようと思います。ヤスリに関しては全くの門外漢の私がこの世界に入って8年。考えてみたらヤスリが出来るまでの全工程を自分でもしっかりと把握できているのか?と聞かれたら、いささか自信がありません。私自身のこの8年間の「自己評価」のつもりで書きたいと思います。ヤスリの専門家に叱られないように、巷でよく聞く「炎上」とやらにならないように少し真面目にシリーズとしてまとめてみます。ただし、正当な工法と違っていたとしても、あくまでも「柄沢ヤスリ」のやり方ですのでご理解下さい。

では、まずヤスリ製造の全工程を記しておきましょう。

 【ヤスリ製造の工程】                                                                                    ①材料切断→②火造り(鍛造成型)→③焼きなまし→④歪み取り→⑤削り→      ⑥双手ヤスリ掛け→⑦目立て→⑧味噌付け→⑨焼き入れ→⑩表面仕上げ  

日本の伝統的なヤスリの製法には独特な特徴があります。工場見学に来られた方に説明すると皆さん一様に驚かれます。次回から1つずつ詳しくお話しすることにいたしましょう。どうぞご期待下さい!!(その前に私も猛勉強しておかなければ・・・)               

2018/6/1  懐かしい人との再会

今回は柄沢ヤスリの話題から少し離れます。お聞き頂けますか?

柄沢ヤスリに入社するまで、私は新潟県の高校の教員を勤めていました。先日、今から38年前私が初めて教壇に立ったときの山の高校の教え子が訊ねてくれました。その一月ほど前「覚えていますか?」と電話をくれたとき、彼のクラス担任をしたわけでもなくただ教科を教えただけの当時1年生の男の子でしたが、不思議と彼の顔がすぐに浮かびました。サラサラ髪の眼鏡を掛けたちょっとニヒルな美少年でしたから。その彼が仕事の都合で隣県に越すことになったのでと会いに来てくれたのです。人生の中のほんの一瞬すれ違っただけなのに、38年も経って再会できるなんて信じられない思いでした。もっとも今はSNSやらFacebookやらで知らぬ内に情報が拡散していますから、「高校の時のあの変な先生がこんなことしてるよ」なんて噂は誰でも知ることが出来るのでしょうね。スマホも持たない私には想像もつかない世界です。地元のお蕎麦を携えて来てくれた彼は昔の面影そのまま。卒業後の30数年間の出来事や、授業で私がこんなことを言ったなんて思い出すだけでも気恥ずかしい話や、同級生の消息や、話は尽きませんでした。                 山の高校に新採用で赴任したことは、私の人生観を大きく変えました。町場の工場地帯で育った私には、新任地は環境から生活習慣から全てが驚きの連続でした。        着任した年の冬、雪が5m積もりました。外に続く道路は全て遮断され、新聞も来なければ生鮮食料も届かなくなりました。来る日も来る日も雪は止むことを知らずまるで空に穴があいたのでは、と容赦なく雪を落とし続ける天を恨みました。10日間臨時休校だった学校を再開したとき、寮や下宿や親戚の家に緊急に寄宿することになった生徒達は雪道を半日以上も歩いてやってくるのです。朝から歩いてやっと近くまでたどり着いたと、夜8時を過ぎて寄ってくれた女生徒を同僚と2人で下宿先まで送ることにしました。街灯が頭の上ではなく足元を照らす(ほど雪が積もった)雪原の中の1本道を3人といつの間にか後ろを付いてきた1匹の犬が1列になって歩く姿はまさに「北越雪譜」の世界でした。今回訊ねてくれた彼は隣町から通っていましたので、まだ開通前だった長く暗いトンネルを1里以上も歩いて通学したとか。共通1次試験を受験する3年生は担任引率でキャタピラー付きの「雪上車」で受験場に向かいました。                                      冬が来る前ベテランの先生が生徒に掛ける言葉は「父ちゃん、出稼ぎに行ったかい?」そんなプライベートなことを皆の前で言っても良いのかと新人の私は戸惑ったものでしたが、担任をしたときクラスの女の子が大きな声で「明日父ちゃんが出稼ぎに行くから、クラスで1番になった成績表を見せたい。先生早く成績表作って!」明日出かける父ちゃんを喜ばせたい彼女の気持ちに胸打たれました。熱い想いを持っていた新人時代でしたから、生徒との(闘いも含めた)触れ合いや人情の機微や山の四季の移ろいや自然との協調の仕方や・・・その全てが、粗野で鈍感だった私の感受性を少しは真っ当に育んでくれた気がします。    今回来てくれた彼からは連絡先さえ聞きませんでした。いつかまたこんな風に再会できるでしょうか?新しい地でどうか幸せにと願うばかりです。

さて、懐かしい人との再会でしばし感傷に浸ったことでようやく気づきました。今の私は仕事に社会に対人関係に「頭カッカ!!」と日々怒ってばかりであったことに。病院でけんかをして「私にも病院を選ぶ権利はある」と踵を返したときは医師を慌てさせました。「何でこうなるのか」と毎日机を叩いては不満の嵐でした。このコーナーを復活して、少し落ち着いて会社の日常や自分を振り返る機会を得て今反省しきりです。こうやって出来事を書くだけでも意味があったことを再認識しています。

以上、柄沢ヤスリとは全く関係のない話に長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました。                  

2018/5/28  グランプリ受賞慰労会~~蓬平温泉にて

いささか旧聞に属することで恐縮ですが、4月の慰労会のお話しをさせてください。   2月、燕市のデザインコンペで「初爪 HATSUME」がグランプリを受賞しました。      4年前、初めて我が社のヤスリにデザイン性を取り入れて作った爪ヤスリ・踵ヤスリ「シャイニーシリーズ」がにいがた産業創造機構のデザインコンペで大賞を受賞しました。リーマンショックの影響がまだ残っており経営的にも楽な時期ではありませんでしたが、あまりに嬉しくて受賞までにお世話になった全ての方をご招待し岩室温泉で大祝賀会を開きました。こんなに嬉しいことはもう二度とないだろうと思ったので賞金はすべて一晩で”ぱぁーっと”使い切りました!!来て頂いたお客様に「また来年もやってくれ」と所望されましたが、「次に大賞を取ったらね」と答えたきりずっと約束が果たせずにいたことを心苦しく思っていました。                                 そして今年、満を持して応募した「初爪」がついにグランプリを取ったのです。長いようであっという間の4年でした。(う?どこかで聞いたことがあるようなセリフ・・・)

4月13日 長岡の奥座敷「蓬平温泉」にて、総勢15名での慰労会を開催しました。 前回は「祝賀会」今回は「慰労会」。色々訳があります。前回の誉を知らない社員が増えたので、私の舞い上がらんばかりの喜びが残念ながら伝わらなかったようです。祝賀会をしますと伝えたところ、「遠いから嫌だ」「人がいると眠れない」「接待させられるのが嫌だ」「その日は都合がある」・・・・・・・頭に来た私は「ええい、祝賀会なんかやめちまえ!!代わりにお世話になった方々をが慰労する。文句あっかーーーー!!!!」 と言うことで、社を上げての「祝賀会」のはずが、岡部さん・Eさん・私の”3人官女”と前回も参加してくれたMちゃんとのたったの4人だけで、初爪に関わってくださった皆様を「慰労」する会になってしまったという顛末でした。                                     お客様は、この3年苦労を分かち合った同士達。受賞の栄誉を皆さん自分のことのよう喜んでくださいました。美味しい料理に舌鼓を打ち、美酒に酔い、喜びを分かち合い、苦労話にうなずき合い、極上の時間を持つことが出来ました。              その中で心に残ったエピソードを一つご披露いたしましょう。2次会でカラオケ会場に行ったときのことです。すでに先客の”お姉さま方”のグループがかなり盛り上がっていました。歌う歌う、踊る踊る、そのパワーに圧倒されそうで我がグループはかなり遠慮気味でした。そのうち、お姉さま方に誘われて我らがメンバーも踊り始めました。踊りの初心者には手を繋いで「イチ・ニィ・サン・シィ」と手ほどきです。誰かがカラオケでつっかえると、お姉さま方全員で唱和して助け船。この活力と洗練された踊りはどこから来るのか、と聞けば実はダンスの世界大会にも出場するグループの皆様とのこと。道理で並みの素人とは鍛え方が違うわけです。慰労会接待役の我々女性4名は引っ込み思案な越後人。ずっと壁の花でしたが、最後に全員で輪になって「学生時代」を大合唱をしたときにはしっかり輪の中で踊っていました。70歳のリーダー率いるお姉さま方(年齢層も幅広いようにお見受けしました)は「この歌で締めるのが私達の恒例なの」と引き際も爽やかに去って行かれました。ストーム(嵐)でもなくブリーズ(そよ風)でもなく、良い意味でつむじ風か空っ風とでも言えましょうか。皆の心に何とも爽やかでパワフルな風を吹き込んでくださいました。朝ご飯の会場でも颯爽と挨拶を交わされ、どこまでも気持ちの良いお姉さま方との出会いでした。                                 岡部さんを始め、やはり一流を極めた方々は何かが違う。学びは身近なところにも沢山あることを知った蓬平温泉でした。              

2018/5/24  技術を伝えるということ

このコーナーを再開するまで2年余り、ご報告したいことは山ほどありました。国の補助金で大きな機械が入ったこと、そのために工場を大々的にリフォームしたこと、新商品の開発が始まったこと、その新商品がデザインコンペでグランプリを受賞したこと・・・でも書けなかったその訳は・・・ホームページの管理システムが変わって「使い方が分からなかった!」ただそれだけのことでした。本当にお恥ずかしい限りです。入社して8年、この2年が最も多忙であったことも手伝って、マニュアルもない管理システムを自力で試行錯誤する時間さえも惜しかったのです。まだスマホも持っていない私は、完全に時代から取り残されそうです。

さて、そんな2年で一番大きな変化は社員の若返りと言えましょう。5人の社員を新たに迎え、そのうち4人が20代・30代でした。この人手不足の時代に有り難いことです。8年前入社した時の私はちょうど真ん中くらいの年齢でしたが、今や上から3番目です。年齢的な世代交代は順調と言って良いかもしれません。しかし・・・肝心の「技術の伝承」がままならぬのです。ベテランの岡部さんは別格として、他の中堅職人が仕事を始めた15・6年前はひと世代前の職人達の世代交代が終わった頃、ちょうどヤスリ職人の端境期(はざかいき)でした。ですから今の中堅達は先輩に時間を掛けてじっくりと基本を習う猶予はありませんでした。中堅職人達は自分達の才覚で創意工夫し、努力し技術と腕を磨いてきました。でも、全工程を通してトータルでヤスリを見ることを教わっていないのです。例えば10近くの工程を経てやっと仕上がったヤスリが商品に出来るような代物ではなかった。どの工程に問題があるか誰も分からない。再度一から作り直して、また同じ失敗を繰り返し・・・。「ヤスリは奥が深い」とため息をつくことが近頃は多くなりました。最大の原因は15・6年前に一度技術の伝承が途切れたそのことに他ならないでしょう。先人達が健勝なうちにヤスリ業界の将来を見据えておけば今頃は、と悔やまれますが今さら嘆いてみても詮無いこと。まさに「後悔先に立たず」のお手本のようです。そのまま手をこまねいているわけにもいきませんから、公の補助金を有効利用して機械化できるところは機械化し、外部のベテラン職人を講師に招聘してヤスリのイロハを伝授して貰い、焼き入れの技術取得のため広島まで新人職人を長期派遣し、県の技術センターにはヤスリ製造の科学的裏付けの研究を依頼し・・・途切れた技術の空白を埋めるべく今出来ることを必死にやっています。               それにしても昔の職人はすごかったですね。学校で習ったわけでもなく、なぜこうなるのかと言う根拠を科学的に捉えていたわけでもなく、今見れば見事な製品を当たり前に作っていた。それが江戸時代から燕に脈々と伝えられてきたヤスリの技・伝統と言うものなのでしょうね。若い職人達の仕事ぶりを見るにつけ、今ここで伝統の技術を途絶えさせてはならぬとつくづく思うこのごろです。                       

2018/5/21  "初爪 HATSUME”ようやく完成です!!

ようやく新爪ヤスリ ”初爪 HATSUME” を皆様のお手元にお届けできます。

開発のきっかけは大学病院のリハビリの専門医からの提案でした。彼は私が高校教員時代の教え子。学会で新潟に来たからと訊ねてくれました。担当する片マヒの患者さんが爪の手入れをするのに苦労しているとのこと。カーブの付いた爪ヤスリ「シャイニー」を元に新しい爪ヤスリが作れないかとの提案でした。今からちょうど3年前のことです。彼自身も事故で怪我を負った経験があるため、患者さんに寄り添う気持ちがひしひしと伝わってきました。ただ単にカーブが付いているから便利と謳ってきた「シャイニー」でしたが、現場の実状を聞かされまさに「目からウロコ」でした。片マヒの患者さんは健常側の手の爪が自分では削れないのです。不覚にもそのことに全く気づきませんでした。早速開発に乗り出すことを約束しました。

新商品の開発は弊社の力だけではとても手に負えません。燕市の新商品開発補助金事業に応募し、プロダクトデザイナーさんの紹介を受け、協力会社を探し、東京まで出向いて発案者とデザイナーと3人で企画会議を何度も持ち・・・着々と準備は進みました。提案があってから2年半が経った昨年10月、とうとう新爪ヤスリのサンプルが完成しました。新爪ヤスリの命名にも思いを込めました。新潟の方言の「器用な・器用な人」を意味する「はつめ」にかけて「初爪」と名付けました。1月7日にその年初めての爪切りをすると「健康になる」「幸せになる」という古くからの言い伝えも名前の由来になっています。      しかし”無”から”有”を生み出すことは、予想もしない困難が付きまとうものです。台座の金型に不備が生じ、サンプル完成から商品になるまでなんと7ヶ月も掛かってしまったのです。「初爪」の由来からどうしても新春に発売をしたかったので、とりあえずサンプル型で初売り分だけ間に合わせました。利益など度外視です。お陰様で大好評だったのですが、その後がいけません。新聞やテレビでも取り上げて頂き、お客様からのお問い合わせや予約が殺到しましたが金型の目途が立たず、矢のような催促に頭を抱える日々が続きました。今振り返っても7ヶ月間何が現場で起きていたのかさっぱり分かりません。ただ、時間と労力を費やした分、製品への妥協をしなかった分、手前味噌ですが会心のヤスリになりました。  絹の様に細かな目を持ち、どの方向にも爪を削れることが自慢です。ヤスリの絶妙なカーブは医療現場の意見で決まりました。手のひらにも収まるシリコンのデザインもかわいらしいと評判です。これから、どんな方達が使ってくださるのか、どんな評価を頂けるのか、作り手としてとても楽しみにしています。本当にお待たせして申し訳ございませんでした。

どうか皆様「初爪 HATSUME」を宜しくお願いいたします!!


2018/5/10  ”看板娘”95歳を迎える

我が社の”看板娘”岡部キンさんが5月4日めでたく95歳を迎えました。いつも言うことですが、どこから見てもその歳を感じさせない若々しさです。彼女が皆様に注目頂くようになって5年、95歳の今も仕事への姿勢や生活ぶりは全く変わりません。誰よりも集中して仕事をし、家に戻ってゆっくり疲れを取り、一休みした後「さて今晩の献立は?」と家事に励み、時にはご家族との口げんかを楽しみながら、彼女の充実した1日は過ぎるのです。 どうやったらこんな風に健やかに歳を重ねることができるのか?いつも羨ましく彼女を見ています。岡部さんはまず強い意志の持ち主、信念の人です。また、好奇心の塊、政治や社会の出来事はもちろん森羅万象何にでも関心を持っています。お料理自慢も元気の秘訣でしょうか。彼女が社員に振る舞ってくれる季節ごとの漬け物は絶品。外で美味しい物に出会うとすぐにそれを家でアレンジしてみると聞きます。彼女のこの好奇心と想像力と応用力が若さと元気へと繋がっていることは間違いないでしょう。                                                 先日工場見学に来られた若い女性に、岡部さんが突然「あなたも目立てをしてみますか?」と誘ってくれました。戸惑う女性を皆でやや強引に目立て機械の前に座らせ、岡部さんの指南が始まりました。女性はちょっと触ってみるだけのつもりだったようですが、岡部さんの指導は妥協を許しません。「ダメダメ!右足をしっかり踏んで。左手で押さえて!!」「はいもう1本やってみて!!!」見学だけの予定だった女性はしっかり自分用のヤスリを仕上げてお土産として持ち帰りました。たった10分ほどでしたが岡部さんの厳しくも的確な指導に皆舌を巻きました。                                    こんな風に岡部さんが元気で頑張ってくれることが会社の活力にもなっています。    岡部さん、これからも末長ーーーーーく宜しくお願いいたします!!